自然美容家 水戸唯裕 遺稿集

遺稿集に寄せて

古式美容法から自然、そして宇宙論へ

三戸唯裕氏の自然美容は、壮大な哲学だった

文・作家 水上洋子

現代によみがえった平安時代の化粧品

私がオーガニックコスメというテーマを追求していく途上で、もっとも鮮烈な印象と深さを持って、私の前に表れたのが、故・三戸唯裕氏だった。

本来のオーガニックコスメの特色は、新しい思いつきで作られたものではなく、世界各地の伝統的な植物療法が活用されていることである。だからオーガニックコスメには、本当に長い時間が流れており、先人の知恵が込められている――
オーガニックコスメについて、そんなふうに考えるようになった頃、さて、日本には、どのような自然美容法があったのかと強い関心を抱くようになった。
なにしろ明治時代に日本にやってきた外国人は、「日本女性は、世界一美しい素肌をしている」と称賛したというエピソードがあるのだ。

そんなとき、広島県の「漢萌」というメーカーから、化粧品が送られてきた。
同封されていた手紙には、私の会社が発行しているオーガニックカタログ誌に掲載してもらえないだろうかという依頼だった。
さらに手紙には、その化粧品について次のように説明していた。

――平安時代の美容法に学んで作られた化粧品である。「漢萌」は昭和37年の創業以来、古来より伝わる伝統的な製法で化粧品を作り続けてきた。原料は、甘草、オウバクなど薬草として古くから伝わる植物や米ぬかを使用している。

その手紙の内容に強く心を動かされ、箱を開けた。だが詰められていたいくつかの化粧品を見たときは、たいへん驚いた。
化粧水は、かなり濃い黄色や茶色だった。
チューブの容器から出てきたクリーム状のものは、真っ黒だった。
「美容料」とあるが、これは、とうてい消費者には受け入れられないだろうと、そのまま置いておくほかなかった。

それから間もなく、ある青年が「手荒れと乾燥に悩んでいる」と相談に来た。彼の手は、彼のなりわいである農作業のせいで全体が粉を吹くほど乾燥していた。
その「美容料」を試しに使ってもらうことにした。正直にいうと、女性では試すのも嫌がられるのではという思いがあった。
彼は「これはまるで味噌ですね」と笑いながら、「美容料」を両手全体に塗った。
しかし翌日、予測もしなかったことが起こった。
「これを見てください!」と差し出された青年の手は、つるりとなめらかになっていた。長年、悩みの種だった手が一夜にして変わったのだ。
これがただの化粧品ではない! 何かそれ以上のものだ。そんな思いにせかされて、すぐに広島県のメーカーへと向かった。

独自の「自然美容法」という考え方

広島県の工場でお会いしたのが、70代半ばになろうとしていた三戸唯裕さんだった。
 三戸さんは私の質問に答えるというより、一方的に話し続けた。
 この人は何か伝えたいことが限りなくある方だと感じて私は、ただただ耳を傾けるしかなかった。話の中には、そのときの私にとって理解しがたいことや、あまりに神秘的な話もあった。
しかし何より三戸さんが作った化粧品の効果が私を謙虚にさせていた。

そのときの話の中でももっとも印象に残ったのが、三戸さんが、化粧品を作ろうと考えたきっかけとなったエピソードだった。

昭和30年の初め、三戸さんは、京都の旧家のひとりの女性と出会った。
「きめの細かい美しい素肌のその女性が60歳を過ぎていると聞いて、さらに驚きました」。
 その女性は三戸さんに素肌美の秘訣は古式美容法にあると話したのだった。
 この時から三戸さんの中に、日本古来から伝わる美容法を再現したいという思いが芽生えた。
 そんな三戸さんの美容法の研究の拠りどころとなったのが平安時代の医学書「医心方」だった。これには平安以来の王朝美容料について書かれた巻がある。
 昭和37年に三戸さんは、化粧品ブランド「漢萌」をたちあげた。

「すでに日本には、そんな昔に素晴らしい美容法が確立していたんですよ」。
ようやく私は、日本女性の素肌が美しいと称賛されたことの源にたどり着いたような気がした。

日本古来の「自然美容法」をひたすら追求

40年以上の研究を重ねて三戸さんが行き着いた日本古来の美容法とは「肌を健康にすれば、本来、肌に備わっている美しくなろうとする自然の力が働くようになる」というシンプルなことだった。それを三戸さんは「自然美肌力」と呼んだ。
 三戸さんは、その「自然美肌力」を活性化するのが、古く漢方で使われてきた甘草やオウバクなどの植物だと考えている。そして植物がどのように肌に働きかけるのかについても、三戸さんは、独自の考え方を持っている。
「自然の中で生まれた植物の『いのち』を人間の『いのち』にそそいで健康を回復することができます。それは自然と一体化した美容法です」。

「自然と一体化」した化粧品を作るために、「漢萌」の製法は古来の製法を頑に守り、作業のほとんどが手作業で行われている。
 まず植物の選び方だが、植物は育った環境で「いのち」の強さに変化があるので原料の産地は厳選する。そして植物エキスの抽出方法もその時期も昔の方法にこだわっている。そんな製造法を三戸さんは、「古式製造法」と呼んだ。
 今の消費者がどう感じるかよりも、古来からの方法を忠実に守る。つまり消費者にまったく媚びることのない化粧品なのだ。
 「漢萌」は、50年間以上、「古式製造法」を守り続けてきたが、それを支えてきたのが、三戸さんの妻の純子さんの存在であることを後になって私は知った。彼女は、夫が追求する理想を現実化するために、他人には見えない苦労や研鑽を重ねてきた女性だった。

「自然美容法」と植物の働きについて教えてくれた師

私は何度か三戸さんにお会いして、そのたびにいろいろなお話を聞く機会を得た。今から思えば、それは私にとって、本当に大きな学びの時間となった。

三戸さんは、「自然美容法」をさらに発展させるために、平安時代の医学書を研究するだけではなく、日本全国を行き来し、ひたすら植物の専門家として信頼できる人々を訪ね、話を聞きまわった。
 その貴重な経験を、彼はできる限り私にも伝えようとしていた。いつしか彼は、私にとって最も深い植物の話を教えてくれる師というべき存在となっていた。
 ひとつの植物には何千もの成分が含まれ、それが調和的に肌に働きかけて効果を発揮するという考えも三戸さんから教えていただいたことだ。

三戸さんのお話を繰り返し聞くうちに、「自然美容法」とは、人間がかってに思いついたものではなく、本来の自然の在り方を尊重し、それに従う美容法であることを実感するようになった。
「私たちの素肌はもともと自然からいただいた働きを持っている。それを壊さないようにして、本来の機能を発揮することができるようにする」ことが自然美容法なのだと三戸さんは繰り返し説いた。
 だから三戸さんが作り出す化粧品は、一切、色を付けたり、しっとり感を出すような成分を加えない。肌にとって真に有益だと古式美容法が教えているものしか使わない化粧品を忠実に作っているのだった。

そんな一途な化粧品は、現代の一般的な化粧品とは、ひどくかけ離れている。
使っているときだけ美しく見せる多くの化粧品と違い、三戸さんが作った化粧品は、肌本来の自然治癒力を回復させることを目指しているのだった。
「肌本来の力が復活することで、トラブルが起きても肌は常に透明感のある健康な状態に戻ろうとします。その結果、くすみのない明るい肌色になるのです」。
 最初に私を驚かせた「美容料」の色について三戸さんはこう語った。
「自然のままの深い褐色。古代から伝わる『黒が白を呼び、陰が陽を誘う』という考え方のように、その深い褐色は、白く澄み切った美しい肌を生み出す『いのち』の色なのです」。
 そんな言葉に、まさに三戸さんはたんなる化粧品開発者ではなく、自然哲学者だと思った。

「自然美容法」から宇宙論へ

三戸さんは、戦争の時代には、海軍将校として務めを果たした人だ。
 そんな人が美容の研究者になるというのもなんとも不思議な人生だが、その経緯には、三戸さんの心のなかに大きなターンポイントがあったのに違いない。

三戸さんが美容研究家として育んでいった「自然美容法」は、たんなる美容法に留まっていなかった。それは宇宙論にまで達していた。
 彼はしばしば「宇宙さんがそう決めてくれたんですよ」という言葉を口にした。
 その言葉は、最初のうち私には、何か宗教的なものを感じて受け入れがたかったのだが、三戸さんとお会いしているうちに、しだいに彼の言葉は、宗教的どころか、ごく当たり前のことだと思うようになった。その言葉は今では、私の中心に入り込み、私自身の考えとして生きている。
 三戸さんにとって「自然美容法」の探求は、人と、自然や宇宙とのつながり方を解き明かすことでもあったのに違いない。

逝かれてからなおさら、三戸さんの「自然美容法」という言葉が私の中で身近なものとなり、彼の言葉を反芻していることがよくある。
 そして改めて、ほかには誰もそんなふうに宇宙に達するような美容論を言う人がいないことに気付き、三戸さんの存在の大きさに驚かされる。三戸さんは、つねに冗談を交えた話はしない人だった。彼の美容論は、どこまでも真摯で、真実を見つめようとする意欲に満ちて、宇宙に向かって伸びていた。
 そんな人にお会いできたことに、私はなんと幸運だろうと心から感謝している。

三戸さんから学ばせていただいたことは、今も私にとって、オーガニックコスメを考える上で、そして人の「いのち」や自然や宇宙とのつながりを考える上で、尽きることのない知識と知恵の泉となっている。(了)

じねんさん 有難うございました 三戸唯裕 筆

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